中小IT企業のSEが、会社とサッカーチームと恋人との時間を行き来する、日常世界を描いた小説です

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第03話

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「三倉君、進捗のほうはどう?」
 部屋に入ると、3年先輩の大石淳に声をかけられた。たばこを指に挟めている彼も、残業に備えて一息ついているようだった。
「残念ながらちょっと……って感じです。大石さんは?」
「俺? いやぁ、今わかんねぇとこがあって困ってんだよね」
 大石はそう言ってから景気よくたばこの煙を吹かした。
「でも、何だかんだで、いつも納期にはしっかり間に合わせてるじゃないですか」
「その陰には何十時間ものサービス残業があることをお忘れなく」
 大石はいつものように、おどけてみせてから歯を見せて笑った。
 とても本人の前ではいえないが、この大石という先輩は、全然SEという感じがしない。角刈りでがたいのいい彼は、ねじり鉢巻をしたらすぐにでも大工になれそうな、というか……とにかくパソコンを使う仕事とはまるで縁がない人の雰囲気を発散している。事実、俺が新人だった去年、「わからないところは何でも聞いて」と言われたのに、質問しても散々考えたあげく「別の人に聞いて」となることが多かったし。だが、彼はどんな窮地に立たされても笑いを失わない。どこかで心の余裕を持っている。さがせばいくらでもいそうで、実はなかなかお目にかかれない人柄。回答が期待できなくても、何となく最初に頼りたくなってしまうから不思議だ。
 それに、知識が乏しそうに見えるといっても、おそらくせいぜいあと2、3年だ。彼の机に無造作に置かれている、ぼろぼろになったデータベース関連の本を見れば、誰だってそう思うに違いない。
 この人は出世する。単なる直感だが、的外れな思い込みではないはずだ。
「さて、仕事に戻りますか」
 大石はたばこを灰皿に擦りつける。俺も「そうですね」と同意し、自販機から出てきた缶コーヒーを取った。
 時刻午後6時。延長戦キックオフ。残業が始まった。試合時間は無制限。仕事の切りがいいところまで進んだ時点で試合は終了する。
 試合が始まってわずか30分後、俺はディスプレイを睨みつけたまま、まるで手が出せなくなってしまった。やばい、この動作をさせるにはどういうロジックにしたらいいんだ? 特に問題ないと考えていた場所が、思うように進まない。初めから難しいと踏んでいたのならまだしも、こういう想定外の行き詰まりは、いらいらを募らせる。
 1時間が過ぎても突破口は見えてこない。気分は前半が終わって0対3。勝利はあまり期待できないスコアだ。しかし、せめて今の問題を解決して、一矢報いたいところ。俺はもう1本コーヒーを注入した。
 3時間が経過した。帰る予定だった時間はとっくに過ぎたが、問題はいまだ未解決。もう他の社員はほとんどいない。大石もぶち当たっていた壁を突破できたようで、恐ろしいほど澄み渡った「お先に失礼します」を置き土産に、会社を後にしている……。
 何だか、戦意が失せてきたな。全然進む気配もないし、今日はこの辺にしとくか。
 ピ、ピ、ピー。試合、強制終了。多分スコアは……って、どうでもいいや、そんなこと。パソコンの電源を落とした俺は、ため息をつかずにいられなかった。
 会社を出ると、外は真っ暗だった。この辺りの夜に、ネオン光線は存在しない。夜遊びとはおよそ縁がない通りを、俺はただ黙々と歩く。駐車場にはすぐ着いた。ちょっと予期せぬエラーもあったが、今日も普通に1日が終わろうとしている。もはや機械的になった動作で車の鍵を開け、エンジンをかける。あとは家に帰って、夕飯を食って、風呂に入って、寝るだけだ。

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