中小IT企業のSEが、会社とサッカーチームと恋人との時間を行き来する、日常世界を描いた小説です

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第02話

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「おはようございます」
 3階のドアを開けると同時に、俺はそう言った。すると、すでに出社していた何人かの先輩も「おはようございます」と丁寧に返してくる。無理して声を張り上げる体育会系のノリではない。おとなしい朝の挨拶だ。
 ネームプレートをつけ、某無名中小IT企業こと、株式会社日本情報システム開発の一般社員『三倉榛人』となり席に着く。え、無意味に大企業のような社名になっている? うん、俺もそう思う。でもいいじゃん、そんなこと。
 まだ始業時間まで20分ある。俺は自分のノートPCを立ち上げ、ヤフーのホームページを開いてみた。
 今日のトピックスは、と……お、あったあった、『香川、2ゴールで勝利に貢献』か。昨日のスポーツニュースで見たドリブル突破、あれはマジでヤバかったからな。ほんと、すげえよ……。
 俺は一応サッカーをやる人間だ。すでに知っているニュースではあるが、記事も目で追ってみる。一通り読み終わった後、J2下位のチームの監督が成績不振のため解任、というのも見つけたが、こっちは別にいい……。俺は、最近テレビで見かけなくなった女優が離婚したというニュースへと移動した。
「おはようございます」の度に、空いていた席が埋まっていき、やがて始業時間を告げるチャイムが鳴った。キーンコーン、カーンコーン……。懐かしさを感じさせるこの音色。大学生だった頃は一度も聞くことがなかったので、こいつとは高校卒業を境に縁が切れたものと思っていたのだが、去年の春、久しぶりに再会。以来、俺の時間は、小学校入学時に知り合ったこの旧友に、再び管理されるようになっている。ここは一応IT企業。アナログ時代の産物を無理に残しておく必要なんてあるのか? まぁ、別にどうでもいいことだけど。
 仕事が始まると、社内はいつもどおり静かになった。打ち合わせがあったりすると、賑やかな声が聞こえてくることもあるが、基本的に職場はキーボードを叩く音に支配される。カタカタ、という小刻みな連続音。ターン、というおそらくはEnterキーを少し強めに叩いた音。会社は売上を1円でも多く伸ばすべく、毎日異なるリズムでドリブルしている。
 そんな中で1時間ほど過ぎた頃、電話のベルが鳴った。
「日本情報システム開発でございます」
 今年の新人、村田保則が2回目のコールの直後に受話器を取った。
「久米田課長、アレサスの宮部様よりお電話です」
 電話の取り次ぎは新人の仕事となっている。入社してから半年が経っていない村田。電話応対する姿にも、まだ余計な緊張が見受けられる。ただ、これに関しては、あまり人のことはいえないか。俺も新人当時は、ミスしないように、ミスしないようにと念じながら、電話が鳴るのを常に気にしていたことだし。今も今で、社内の打ち合わせなんかでは、知らない専門用語がひとつ、ふたつと増えていき、一通り終わったときにはクエスチョンマークがつきまくり、なんてこともあったりする。SEことシステムエンジニア候補として入社したわけだが、今は用意された仕様書をもとにプログラムをつくるという、プログラマーとしての仕事が中心だ。システムの要件定義や基本設計といった、上流工程に携わったことはまだ一度もない。だから、SEとしてはまだ半人前にも達していない。
 というわけなんで、お互い頑張ろうぜ、村田。俺は彼の背中に勝手にエールを送り、自分のパソコンに目を戻した。
 今日も淡々と時間が刻まれていき、無難に定時を向かえた。とはいっても、仕事の進捗はやや遅れぎみ。あと2時間ぐらいは残らねば。俺は気分転換にコーヒーを飲もうと、休憩室の自販機へと足を運んだ。

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