中小IT企業のSEが、会社とサッカーチームと恋人との時間を行き来する、日常世界を描いた小説です

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第20話

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 ピィ、ピィ、ピィ〜。
 試合が終わった。
 9対0。
 本当に取れるだけ取ったようなスコアとなった。
 ミックは6ゴールをゲット。ダブルハットトリック。何と、試合を通じて俺がボールに触れた回数より多いゴール数だ。
 こんなに得点を重ねた試合は、多分、俺がチームに加入してから初めてだと思う。強くなったもんだ……って言いたいところだが、物事がうまく行き過ぎた結果だ。完全に実力というわけではない。誰もがきっとそう思っている。
 だが、大量得点で勝利したというのも事実だ。気分の良さを抑えられないといった表情が、チーム全体に広まっている。一時的でささやかな夢を見ている。
「お疲れ様ー」
 ベンチへ戻ると、唯華がタオルを差し出してきた。少し不気味なぐらい、上機嫌な声だった。
「俺はほとんど何もしてねーよ」
「そんなことないよ。すごくよく声が出てた」
「そうか? 全然自覚ねーけど」
「いや、いい仕事してましたよ」
 伊沢が会話の中に割り込んできた。
「カウンター食らったときとか、的確に指示出してくれてたから、やりやすかったです」
 普段はやや辛口の2人が同じようなことを言う。となると、気づかぬうちに、いわゆるコーチングというやつをやっていて、本当に役に立っていたということか。繰り返すようだが、ボールに触った回数が少なかったから、全然実感ねーけど。
「それにしても、気分いいですね。俺、研究室の教授に卒業させないなんて脅されてるんですけど、久しぶりにスカッとした気がします」
 なるほど、これか。最近グラウンドに一番乗りになることが多いという理由は。
「お前、もう就職先も決まってるんだろ? それなら、余程のことをしなきゃ卒業できないなんてことねーよ」
「普通はそうなんでしょうけど、俺の研究室は違うんです。去年も一人、精神的にやられて辞めてったし」
 ゼミではなくて研究室。いわゆる文系学部と理系学部で、呼び名が違うだけというわけではない。課題の多さも違う。後者のほうが圧倒的に上。特に工学部の研究室は忙しいらしく、睡眠時間も満足に取れないところもあるとか。伊沢の研究室も、そういう類なのかもしれない。ただ、マイナスなことばかりではない。大学の偏差値は決して高くないのだが、就職活動のときは無類の強さを発揮する。伊沢の就職先も、業界最大手のいわゆる一流企業だ。就職活動がうまく進まず、大学を卒業してからもしばらく定職に就かなかった俺とは違う。
「大丈夫だよ。伊沢はしっかりしてるから」
 ぶっちゃけ、卒業できなくて内定取り消しになったとしても、何とかなるもの。適度な幸せは手に入る。俺はそう思っているが、それがわかったのは、宙ぶらりんのまま社会に出てからのことだ。今の伊沢に言っても、おそらく理解してもらえない。適度な幸せでは満足しないのかもしれない。だから、気休めの言葉しかかけられない。
「とりあえず、ベンチ開けようぜ。次に試合やるチームが来るみたいだし」
 俺は、こちらに向かって歩いている一向を指差した。
「あ、そうですね、すいません……クロワッサンズ、撤収しましょう!」
 伊沢は、慌ててチーム全体に声をかけた。

幻のサッカー王国―スタジアムから見た解体国家ユーゴスラヴィア

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