中小IT企業のSEが、会社とサッカーチームと恋人との時間を行き来する、日常世界を描いた小説です

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第64話(最終話)

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 水曜日。
 今日で今年のグラウンドでの練習は最後となる。
 来週からは小学校の体育館を練習場所とした、フットサル中心の活動が始まるが、俺は参加できないだろうな。今の狩野より苛酷な環境に放り込まれることになりそうだし。
 そんなわけで、今日は今シーズン、最後の活動だ。思い残すことがないように、定時で上がってグラウンドに向かう。本当は残業したほうがよさそうなんだけど、来週から凄まじい場所に突っ込まれるんだから、バチは当たらないはずだ。
 グラウンドに着いた。練習開始はまだ30分以上先だ。今日は俺が一番乗りになるものと思っていたが、グラウンドにはすでに一人の姿があった。
 充だった。
「どうしたんだよ、今日は早いじゃん」
 俺は充を突いてみた。
「あぁ、三倉くん」
 充は、彼らしくない沈んだ声で返事した。
「別に何もないよ」
 充はそう言うと、グラウンドに出てランニングし始めた。何もないなんてことは、なさそうだった。
 グラウンドへ3台目の車が近づいてきた。唯華の車だった。何だか今日は不自然に早いな。
「ハルちゃん、今日は早いんだね」
「それはこっちの台詞だよ。どうしたんだ、今日は」
「今日、お昼ごろにメールもらっちゃってさ」
「誰から?」
「真田さんから」
「どんな内容で?」
「マネージャー辞めます。これまでお世話になりましたって」
「あぁ……そっか」
 最近、彼女が姿を見せていなかったことと、今日の充の様子が、何となくつながった気がした。
「充くん、もう来てたんだね」
「あぁ」
「どんな感じだった?」
「結構、不機嫌そうだった」
「そっか」
 唯華も、そのことを悟ったようだった。
「ハルちゃんは、何かあったの? ここに早く来る人は何か抱えている人なんでしょ? たしか」
「俺は、別に大したことじゃねぇよ。来週から東京の忙しいプロジェクトに入れられることになったから、しばらくボール蹴れなくなるだけだ」
「え、じゃあ、しばらく会えなくなるの?」
「いや、週末は帰ってくるから、何とか時間は作れると思うよ」
「そっか。それなら、よかった」
「すげぇ忙しいらしいから、しっかり癒してくれよ」
「わかった。任せといて」
 唯華は、胸を叩いてみせた。
「じゃあ……俺、充にもう一回声かけてみようかな」
「うん、そうして」
 唯華は、微笑みながら頷いた。
 俺は、充がランニングを止めたところで声をかけた。
「充、ボール蹴ろうよ」
 グラウンドには、今日も小さな感情が明かりを灯している。

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