第63話
「三倉君」
席に着き、ディスプレイに結合テスト仕様書を映し出したところで、久米田課長に声をかけられた。
「これからちょっといいかな?」
「あ、はい。大丈夫ですけど」
「じゃあ、第1会議室で」
久米田課長は、ついさっきまでプロジェクトミーティングが行われていた会議室を指差して、早足で歩いていく。
俺も、ボールペンとメモ帳を持って、久米田課長を追う形で第1会議室へ向かった。
「ごめんね、急に呼び出して」
俺が席に着くなり、久米田課長はそう切り出した。
「いえ、大丈夫です」
俺は、もう一度「大丈夫」を繰り返した。
「実は、来月から富士出版のプロジェクトに入ってもらいたいと思っています」
久米田課長は、申し訳なさそうに言った。
富士出版プロジェクトというと、某大手システム会社が元請けとなっている、悪名高きプロジェクトだ。何でも、東京にある某大手システム会社の開発部屋に、二次受けとなる日本情報システムの社員もぶちこまれて、毎日24時まで残業を強いられているとか。基本的に土曜日も出勤。その上、元請けの会社が顧客と打ち合わせを行った際は、ボイスレコーダーで記録された音声と一言の間違いも許されない精度で、その議事録作成を残業後にやらされるとか。この場合は、ほぼ徹夜確定だとか。要件が固まらないままスタートしたがゆえに、顧客と元請けとの間で認識違いが発生することが多いらしく、変更の雨あられで、労働基準なんて完全無視。要するに、人間扱いされないということだ。
職場が東京となるので、月曜日の朝に新幹線で職場へ向かい、ビジネスホテルを寝床にして働き、週末に帰ってくるというスタイルになる。俺たちみたいな地方の中小IT企業には有りがちな仕事のやり方で、実は3割ぐらいの社員がそんな形で働いている。新幹線という名の荷馬車に揺られて、俺たち安い労働力が都心に運ばれるのだ。
「来月からですか……ずいぶんと急ですね」
「欠員が出てしまったみたいでね。急遽、代わりが必要になってしまったんだよ。期間はとりあえず3ヶ月と聞いているけど、状況からして、もっと延びるんじゃないかな」
急な欠員ということは、メンバーの一人が退職したか病院送りになったということだ。
「今の仕事は誰かに引き継ぐことになりますか?」
「そうだね。今週、進められるところまで進めて、あとは別の人にやってもらうことになる。でも、引き継ぎ作業は特に意識しなくていいよ。今のメンバーにフォローしてもらうようにするから」
「わかりました」
「ごめんね、急な話で」
「いえ、仕方ないです。気にしないでください」
この間、俺にA評価をくれた上司に頭を下げてほしくなかったから、明るく振る舞ってみせた。