中小IT企業のSEが、会社とサッカーチームと恋人との時間を行き来する、日常世界を描いた小説です

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第45話

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「お疲れさま。飲み物持ってきたから、飲みたい人は飲んで」
 そんなことを思っていたところに、唯華が姿を現した。アクエリアスと紙コップをベンチの脇に置いて、余力のない俺たちを労うように、声をかけた。
 由雄は「いただきます」と言って、紙コップを手に取る。俺も、彼に続いてアクエリアスを紙コップに注ぐ。彼女が来てくれたことで、ホッとしている自分がいた。
「今、何対何?」
「1対1」
「誰が点取ったの?」
「ナッシー」
 俺は、ヘロヘロになってグラウンド上に座り込んでいる彼を指差した。
「え、スゴい。今日の相手、強いんでしょ?」
「うん、だから前半終わった時点で、すっかりお疲れ状態です」
「試合終わる前からそういうこと言うな。まだ同点なんでしょ? 最後までがんばれ」
「お前、がんばってる人間に、がんばれって言っちゃダメなんだぞ。うつ病になるって、どっかで聞いたことないのか?」
「はいはい、わかったわ。がんばれ、がんばれ。勝利に向かって、死んでも走れ」
 唯華は、戦時中の日本軍のようなことを言う。
 俺は、苦笑するしかなかった。
 俺たちのやりとりを見ていたらしく、小野塚さんが声を上げて笑った。
「この人、新しいメンバー?」
「あぁ、野島つながりで、今日から入ってもらった小野塚さん」
 小野塚さんは「どーも」と軽く頭を下げた。
「あと、ミックの後輩のナン」
 俺は、ミックとおそらくタイ語で会話しているナンを指差した。
「え、今日はその2人を入れて人数ギリギリなの?」
「そう。人数がヤバくなると、新しいメンバーが加入して支えてくれる。素晴らしいことだろ?」
「うん、スゴい。クロワッサンズの真骨頂ね。ありがとう、小野塚さん」
 今度は、小野塚さんが苦笑する番だった。
 アクエリアスを口に含んだところで、後半に向けての簡単なミーティングとなった。後半も前半と同じように、守備を固めた上での一発狙いでいくことを確認する。仮にリードされたとしても、この形でいくしかない。意識を統一させる。そして最後に、失点を引きずっているように見えた伊沢に、闘魂が注入される。
「よくわからないけど、伊沢くん、何だか元気ないよ。キャプテンなんだから、しっかりしなさい!」
 唯華に背中を叩かれる伊沢。クロワッサンズに、笑いが広がる。いつの間にか、息苦しい雰囲気が霧散していた。
「後半もがんばりましょう!」
 顔を紅潮させて、伊沢は声を上げる。
「おぉ」
「あいよ」
「了解」
 唯華を含めたクロワッサンズ全員が、その声にそれぞれの言葉で反応した。

フットボール百景

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