中小IT企業のSEが、会社とサッカーチームと恋人との時間を行き来する、日常世界を描いた小説です

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第29話

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 ピリピリした雰囲気は、ついに和らぐことがないまま、練習は終わった。
 息が詰まるような中でのパス回しには、伊沢の「『に』はパスミスが多すぎです。これじゃあ、練習になりません。しっかりしてください」から、徐々にミスを指摘する声が加わっていった。 俺もきついことを言ったし、言われもした。今日の俺たちを包んでいたのは、チームを強くするための緊張感……ともちょっと違う気がした。残念ながら。
 グラウンドから、チームメイトたちが去っていく。ただの他人へと姿を変えていく。練習後にいつも感じる、この淡々とした空気。もしかしたらこうなる理由は、練習が終わった瞬間から息抜きの時間は終わり、明日に向けて準備し始めているから、なのかもしれない。違和感を覚える俺は、スイッチの切り替えが下手だということ。そんなふうに、今ふと思った。
「唯華、今日はこれから時間取れる?」
 俺は、周りと同じように、グラウンドから立ち去ろうとしている彼女に声をかけた。
 唯華との間には、練習前に溝ができてしまっている。ただ、それはまだ浅いはずだ。溝は浅いうちに埋めておく必要がある。練習前の時点では、面倒くさくなって、とりあえず放置という対応を選択していたのに、少し時間が経つと、気になって仕方なくなってしまう。我ながら都合のいいやつだ。
「今から?」
 何を今さら。唯華の声には、苛立ちが含まれていた。
「うん、今から」
「もう遅い時間じゃん」
「無理にとは言わねぇよ」
 唯華は視線を泳がせる。しばらくしてから「わかった、いいよ」と応えた。
「ありがとう。じゃあ、一旦帰ってから、10時にお前のアパートまで迎えにいく。それで大丈夫?」
 唯華は、もう一度「わかった、いいよ」と応えた。
 俺も、もう一度「ありがとう」と言った。

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