中小IT企業のSEが、会社とサッカーチームと恋人との時間を行き来する、日常世界を描いた小説です

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第10話

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 ピィィ、と試合再開が告げられた。俺は、一度ゴールを見てから、足元のボールへと視線を落とす。理屈は簡単。ボールの真ん中をインサイドで押し出すように蹴ればいいのだ。ボールの真ん中を押し出すようにして、蹴る。押し出すようにして……蹴る!
 ドーン。直後、ボールは無意味に高らかと舞い上がった。
「……今、狙った?」と野島。
「三倉くん、さすがにそれは無理だって」と由雄。
 ちっぽけな自尊心がこもった、虚しい打ち上げ花火だった。その残骸を、伊沢は蹴った本人よりも早い出足で取りに行く。俺はぼけっと突っ立つことを余儀なくされる。何となく唯華に目を向けてみる。携帯をいじっている。
 白けた雰囲気が沈殿する。
 ボールを取ってきた伊沢は、今度はすぐ側にいる味方の足元へパスを出した。『いち』は自陣内でボールをつなぎ始める。空間に入った小さなひびを、丁寧に丁寧に修復する。
 俺は、ボールを持った相手に対してプレスをかけにいく。治している傷口を開げないためにも、本当にボールを奪ってしまわないように気をつけた。
 勝った負けたを繰り返しているうちに、時計の針は9時を刻み、今日の練習は終わりとなった。その後、全員が集まって日曜日の試合開始時間を確認すると、はい、解散。「お疲れ」とかを置き土産に、みんないとも簡単にチームの輪を、誰ともつるむことなく一人で離れていく。
 急に吹き込んでくる冷たい夜風。これにはいつも違和感を覚えるが、他のチームも練習後はこんな感じなのだろうか?
 唯華にも淡いバリアが見えた。
「次の試合には来れんの?」
「うん、急に仕事が入らなければ、多分」
「そっか……そいじゃ、またな」
 意識しなくても、話はあっさり途切れてしまう。
 ここにいる時ぐらいは、最後までユニフォーム1枚でいたいものだけど、俺もいつの間にかその上に鎧をまとって、剣まで携えたりしてんのかな……?
 何にせよ、今すぐには何も変わらない。そもそも、俺が敏感になりすぎているだけかもしれないし。
「照明、落とします」
 伊沢が、まだグラウンドに残っているチームメイトに声をかけてから、明かりを消した。夜の中に溶け込んだグラウンド。ここでやれることは何もなくなった。
「そいじゃ、お疲れです」
 俺は車にエンジンをかけ、グラウンドを後にする。いつも乗っているジムニーのライトだけが、かろうじて目の前を照らし出していた。

僕は自分が見たことしか信じない 文庫改訂版 (幻冬舎文庫)

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